私はずっと、知識管理の仕組みを欲しがってきました。といっても、はっきりした目的があったわけではありません。とにかく沢山書き溜めておいて、いつか——いつか将来、それをなんとかしたい。Evernoteに溜め始め、Notionへ移し、Obsidianへ移し替え——置き場を新しくするたびに「今度こそ、ここで何かやるぞ」と思っては、結局また溜めるだけでした。

その奥にあったのは、たぶん「考えているだけで何も出さない人」をやめたい、という願いでした。仮説を立てて検証するのは速いくせに、いざ文章にして世に出す段になると、途端に渋る。頭の中にあるものを、いつかちゃんと外に出せる状態にしておきたかった。

その溜め込みを、溜めるだけでなく回る仕組みにしようと本気で作り込み始めたのが、Obsidianに移してからでした。教科書どおりのZettelkastenを組み、いよいよAIにも整理を任せてみた。これが第一世代です。続く第二世代は、自作のナレッジベース。——三回作って、二回死なせています。どちらも「自分がコツコツ手入れし続ける」前提で設計して、そのコツコツが続かなかった。結局「いつか」は、いつまでも来ませんでした。

三回目で、ようやく作り方を根本から変えました。自分が規律正しくあることを諦めて、運用の主導権をまるごとAIに渡した。この記事は、その三世代の顛末——何を目指して、何がうまくいかず、何を学んで、いま何に賭けているか——の話です。そしてこの記事自体が、三世代目の最初のアウトプットでもあります。

順を追って話します。

まず数字の自白から

まず、自分の知識管理の実態を実測値で晒しておきます。見栄を張ってもしょうがないので。

  • Obsidian vault内のノート数: 25,941ファイル
  • 孤立ノート(どこからもリンクされていない)率: 99.04%
  • ノートあたりの平均リンク数: 0.08本
  • Fleeting Note → Literature Note への昇格率: 2.0%
  • 数年間で書けた Permanent Note: 3件

我ながらひどい数字です。しかも質が悪いことに、私は2025年6月に大がかりな整理をやらせていて、その締めに「Vault整理完全制覇報告」なるドキュメントまで残っています。X関連ブックマーク98%削減、フォルダ構造の再編、タグ体系ガイドラインの策定。完全制覇、と銘打っておきながらこれです…。報告書の上では、vaultは「秩序ある知識の体系」に生まれ変わったはずでした。

そこから作り直しまでの約一年、このvaultに人間がまともに手を入れた形跡はだんだん消えていって、最後の半年はDiscordのメモを自動でコミットするbotだけが動いていました。

報告書の上では勝っていて、実測値の上では負けていた。このズレが気に掛かって、今回の作り直しを始めました。

第一世代: Obsidian + AI — 「完全制覇」を読まずにOKした

その溜め込みを、溜めるだけでなく回る仕組みにしようと初めて本気を出したのが、Obsidianでした。PARAメソッドとZettelkastenのハイブリッドで設計し、テンプレートを5種類、デイリーノートの自動レポートまで用意した。

整理は、自分の手でやっていたわけではありません。当時のAIエージェント(Claude Code)にやらせていました。vault用のCLAUDE.mdを書き、自動化スクリプトを組み、何年ぶんもの溜め込みを「全部きれいにする」ことを目標に、AIに走らせた。

しばらくして、AIは立派な完了報告を出してきました。題して「Vault整理完全制覇報告」。今あらためて読むと、なかなかの代物です。

🏆 Obsidian Vault整理完全制覇報告

これは単なる整理ではなく、知識管理システムの革命です。 秩序は外から押し付けられるものではなく、内側から生まれる均衡である。

絵文字で飾られ、「驚異的な成果」「革命」と勝利を高らかに宣言し、締めにはオルテガの引用まで添えられている。いかにもAIが書きそうな、整いすぎて無個性なエッセイ調そのものです。そして私はこれを、ろくに中身も見ずにOKしていました。「OK、OK」と。

なぜ読まなかったのか。正直に言うと、私の関心は成果物の中身ではなく「このやり方——AIに丸ごと整理させる——は、はたして上手くいくのか?」の方にあったからです。以前ChatGPTの履歴を分析させたとき、「仮説をぶつけて検証させるのは異常に速いが、ゼロからの清書を渋る」という自己像が出てきたのですが、まさにそれ。手法が回るかは面白い。でも、出てきた中身には興味が向かない。

設計そのものにも無理がありました。狙いが「全部」だったので、AIは私がもう関心を失った古い溜め込みまで拾って処理してくる。自分でも興味の薄いものを大量に見せられれば、できることは「機械的にOK」だけです。おまけに報告書が勝手に課してきた「毎朝5分、週次30分、月次2時間」のメンテナンス——あんなもの、少なくとも私には続くはずがなかった。

結果は、そのとおりでした。報告書が「革命」と宣言してからの一年、私が手を入れたのは整理のあと片付けと、数ヶ月後に一度きり。あとはずっと、冒頭に書いたとおりです。

教訓は二つ。一つは、自動化されたプロセスだけが生き残ること。もう一つはもっと痛い——AIに渡しても、人間がその成果に本気で関与しなければ、立派な報告書と死んだ置き場が残るだけだということ。これは次の第二世代で、形を変えてもう一度繰り返されます。

第二世代: 自作ナレッジベース —「作る」が目的化した

2026年3月、今度は自作のMCPサーバー型ナレッジベースを作りました。コンセプトはかなり練り込んだ自信があります。

  • 3層モデル: 人間の内在化(脳内にしかない。ツールが持つのは引き出すための「栞」)/ AIの内在化(AIが人間を理解するための文脈)/ 外部記憶(単なる情報)
  • engagement被引用モデル: ノートの価値をリンク数ではなく「AIと人間がどれだけ接触・引用したか」で算出する、学術論文の被引用数のような仕組み
  • orientツール: AIが対話のたびに思考をナレッジベースに通し、関連知識・活動文脈・セレンディピティの3スロットで応答を得る

vaultから価値あるコンテンツを約100件キュレーションして移行し、実装はv0.9からv1.4まで進めました。フィードバック駆動でMCPツールを統合して、トークン効率を改善して——

ここまで書いていて気づくのですが、知識を「活用する」話がどこにも出てきません。私はナレッジベースを「使う」より「作る」方に夢中になっていた。正直、作るのが楽しかっただけかもしれない…。実験のつもりだったのに、オレオレ実装で作り込みすぎて、固執しすぎました。コンセプト自体は今でも正しかったと思っています。でも、データと実装を一体で抱えた自作システムは、メンテナンスコストごと私の肩に乗り続ける。それが分かった。

共通の死因と、2026年という環境変化

二世代の失敗を並べると、共通の死因が見えてきます。表向きは、どちらも「人間が継続的に手を入れ続ける」前提で、その手入れが続かなかった——という話です。でも、もう一段下に本当の死因がある。私の関心が、いつも「知識そのもの」ではなく「仕組みの方」を向いていたこと。第一世代では「このやり方は回るのか」に、第二世代では「このシステムを作ること」に夢中で、肝心の——知識を使う、外に出す——ところに関心が向かなかった。だから成果を読まずにOKし、システムを磨くことで満足してしまう。

もう一つは、どちらも狙いが「全部」だったこと。何年ぶんもの溜め込みを全部整理する、全部を扱える仕組みを作る。その全方位の目標が、続かない手入れと、関心の薄いものへの機械的な処理を生んでいました。

一方で、環境のほうは劇的に変わりました。2026年のAIエージェントは、25,000ファイルの雑然としたディレクトリを数分で走査して、構造を診断して、必要な情報を引き当ててきます。実際、この作り直しの冒頭で私がやったのは、Claude Codeに「このリポジトリの超雑然とした私の脳内をなんとかして」と丸投げしただけ。冒頭の実測値も、全部AIが勝手に掘り出してきたものです。

そこで認識がひっくり返りました。孤立率99%は、もう危機じゃない。人間が辿るためのリンク網やタグ体系は、検索とRAGとエージェントの時代には必須要件ではなくなった。要るのは(1)生データがAIの引ける形で保全されていること、(2)蒸留済みの知識が信頼できる場所にあること——この2つだけ。

リンク切れ900件を直す作業に、もう価値はない。やらなくていい。この結論だけでも、数年前の自分に教えてやりたい。

第三世代: keel — AIに主導権を渡す

新しい基盤は「keel(竜骨)」と名付けました。設計原則は、二世代の失敗の鏡像になっています。

1. 退屈な技術だけを使う。 プレーンMarkdown + git + エージェント。アプリも自作MCPも作らない。第二世代で痛い目を見た教訓です。構成はこれだけ:

keel/
├── CLAUDE.md      AIが読む運用憲法(symlinkでAGENTS.mdとしても見える)
├── self/          セルフモデル — AIが私を理解するための文脈
├── theses/        持論 — 自分の考えの現在形
├── projects/      各プロジェクトの「現在地と次の一手」だけ
├── output/        公開物の下書きと公開台帳
├── inbox/         AIの提案置き場
├── sources.md     データレイクの地図
└── lake/          生データ(git管理外。bootstrap.shで任意の端末に再現)

旧vaultも第二世代のデータも、削除せずに lake/ へ降格しました。整理しない。鉱床として保全して、必要なときにAIが採掘する。

2. 蒸留はプッシュではなくプル。 第一世代は「入ってきた情報をいちいち整理して昇格させる」プッシュ型で、昇格率2.0%で枯れました。keelでは向きを逆にします。先に出力目標があって、それが採掘を駆動する。「この記事を書く」と決めた瞬間に、AIがデータレイクから関連素材をよしなに掘ってくる。整理は、出力の副産物としてだけ起きればいい。

3. 人間はレビューと決断のみ。 AIが下書きと候補を作り、私は採否を裁く。私にゼロから書かせる設計は禁止——これは憲法(CLAUDE.md)に明文化してあって、AIの側が遵守を監視します。vault時代の私は、AIの「完全制覇報告」をろくに読まずにOKしました。あれをやらせないための歯止めが、この一条です。

4. 出力ゲート。 基盤への機能追加は「何かを1本公開するごとに解禁」。システムいじりが楽しくなって本題を忘れる人間(私です)への、構造的な拘束具です。成功指標は整理の美しさではなく、公開台帳の行数。

5. 記憶は特定のAIに預けない。 憲法も現在地も未決事項も、すべてリポジトリ自身が運びます。Claude Codeで開いてもCodex CLIで開いても、自宅サーバーのエージェントが開いても、同じ文脈が立ち上がる。ベンダーのメモリ機構に依存するのは、自律を手放すことだと思っています。

「AIに主導権を渡す」の実際

判断を手放したわけではありません。渡したのは運用です。

第一世代で人間に割り当てられていた仕事——読む、分類する、リンクする、昇格させる、定期的にレビューする——は、全部AIに移しました。人間に残るのは、価値判断と採否と、書かれたものを「これでいく!」と世に出す決断だけ。

実は、この記事自体がkeelの公開台帳の1行目です。初稿を書いたのはAIで、私はそれに赤を入れて公開を決めました。3年半ぶんの自分のChatGPT履歴を分析させた資料が self/ に置いてあって、AIはそれを読んでから書いています。「アウトプットを渋って『考えているだけの人』になっている」という私の積年の自己課題も、そこに書いてある。つまりこの記事自体が、その自己課題への答え合わせなんです。だからこの1本が世に出た時点で、システムがちゃんと動いた証明になる。そういう設計にしました。

まとめ

二世代を殺したのは「規律が続かない」だけじゃありませんでした。関心がいつも知識そのものより仕組みの方を向いていて、成果を読まずにOKし、狙いを「全部」に広げてしまう——そこが本当の死因です。AIに渡すだけでは死ぬ。vaultはすでにAI駆動で、それでも死んだ。要るのは人間の本気のレビューと決断、そして実出力の強制でした。2026年のいま、リンクとタグの手入れはもう人間の仕事ではありません。生データを保全して、AIが引ける状態だけ担保して、整理は出力が必要とするぶんだけ掘る——それで足ります。

二度死んだ私の知識管理が三度目も死ぬのか、今度こそ回るのか。それは公開台帳の行数を見ていれば分かります。嘘はつけない数字なので。まずはこの記事が、その1行目です。


この記事は知的基盤keelのアウトプット第1号です。AI(Claude Fable 5)が初稿を書き、別のAI(Claude Opus 4.8)が私の過去の文章を分析して文体を私の声に寄せ、最後に私がレビューして公開を決めました。